出羽三山の うつり かわり
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6 世紀以前
「山そのもの」が 祈りの対象
古くから日本人は、暮らしとともにあった山に、神仏の存在を重ね、祈りをささげてきました。
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6 世紀頃
出羽三山を 開山したのは皇族!?
崇峻天皇(すしゅんてんのう)の皇子 蜂子皇子(はちこのおうじ)/ 能除太子(のうじょたいし)により開山したと伝われています。
・「神道集」によれば、開山は能除(のうじょ)
・「羽黒山縁起」によれば、羽黒山で修行をした崇峻天皇の皇子(参払理大臣 みふりのおとど)が、苦しみを能(よ)く除いたことから「能除(のうじょ)」の名を朝廷から与えられる
・皇室の系図では崇峻天皇の皇子は蜂子皇子だけ。能除を蜂子皇子と同一とする動きが起きる。
・明治の神仏分離以降、羽黒山が神道化されると、開山は蜂子皇子に定着。 -
12 世紀頃
羽黒の名が 鎌倉にとどろく
山岳信仰をベースに、神と仏が混ざり合った独自の宗教形態が確立されました。
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17 ~ 19 世紀頃
出羽三山参りの最盛期
江戸期に入ると、庶民の間で全国的な参拝ブームとなり、出羽三山への参拝者も急増。羽黒山も大変な賑わいを見せました。
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17 ~ 19 世紀頃
現在の羽黒山の風景の 基礎がつくられる
ふたりの偉人
羽黒山50代別当・天宥(てんゆう)
羽黒山75代別当・覚諄(かくじゅん) -
19 世紀頃
苦難の時代 明治の神仏分離
明治政府の神道の国教化政策を行うため、仏教と神道を切り離す「神仏分離」政策を断行しました。
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20 ~ 21 世紀頃
多様化して生き残る
第二次世界大戦後、国家神道の時代は終焉するも、神道と仏教で分かれたまま、神社、寺院、宿坊でそれぞれの道を歩み始めます。
昭和~平成初期には、観光バスで多くの「講」が東日本一帯から詰めかけました。 しかし講の少子高齢化により参拝客が減少傾向になり、再び苦難の時代へ突入します。 -
20 ~ 21 世紀頃
文化遺産化や 観光活用が進む
出羽三山信仰に関わるモノやコトの文化財登録や観光活用が進みました。
開山した年の干支にちなんだ縁年行事が活況を呈し、外国人向けの山伏修行体験も始まります。 -
21 世紀頃
未来に向けて
2017年:220体の仏像を安置した「千佛堂(せんぶつどう)」が神社内部に建てられました。
2019年:出羽三山神社の権宮司、正善院の住職、宿坊 大聖坊の当主による「鼎談 山上山下~むかし いま これから~」を開催しました。
Program
巡礼体験プログラム歴史を学び、感じる巡礼 体験プログラム
歴史を学び、 感じる巡礼体験プログラム
はじめての人にこそ知ってほしい出羽三山巡礼の魅力を、1泊2日にぎゅっと凝縮しました。このプログラムでは、先祖代々受け継いできた伝統ある宿坊に宿泊し、山伏とともに羽黒山を歩きます。山伏の生き方や価値観に触れると、山の景色もきっと違って見えてくるでしょう。パワースポット巡りだけでは物足りないという人や日本人の基層や信仰・風習などに興味がある人にもおすすめです。本物の聖地を舞台に、このプログラムでしかできない特別な体験をお楽しみください。