はじめての出羽三山参り
これを知らなきゃはじまらない!

山伏と手向宿坊街
キホンのキ

この旅のキーワードである「山伏」と「宿坊」について、そのギモンと不思議に答えます。はじめての人もここを見れば基本はバッチリ!

山伏とは?

  • 其の1

    Q. そもそも山伏ってなんですか?

    A. 山に伏して修行をする人です。

    解説

    人智を越えた力(験力 げんりき)を得るために山に入り、寝泊まりをしながら修行をする人々を、”山”に”伏”す人、山伏と呼びます。修験道の実践者が主に山伏と呼ばれました。

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  • もっと知りたい!豆知識

    山先達
    (やませんだつ)

    羽黒山では、山伏が他の修行者や参拝者を導くことを「山先達」といいます。かつて三山参拝では、山先達なしで山に入ることは許されていませんでした。今回のプログラムではこの習わしに沿う形で、山先達に導かれ羽黒山を参拝します。

    山伏は
    パラレルワーカー!?

    山伏は「半僧半俗」ともいわれ、俗人(一般人)としての一面も持っていました。手向では歴史的に山伏達が様々な職業につきながら、宗教活動を行っており、その働き方は現代でいうパラレルワーカーさながらです。

  • 其の2

    Q. 修験道ってなんですか?

    A. 山岳信仰をベースに体系化された日本独自の宗教のことです。

    解説

    修験道は、日本古来の山を信仰の対象とする「山岳信仰」をベースに、仏教、道教などが結びついた日本独自の宗教です。中世に独自の宗教形態が確立しました。飛鳥時代の人物、役小角(えんのおづぬ)が開祖であると言われています。

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  • もっと知りたい!豆知識

    いにしえから続く
    日本人と山の関係

    山の国・日本には、全国的にいたるところに神聖視された山=霊山があり、その多くに修験道が密接に関わっています。その中でも代表的な霊山であり、日本三大修験道場として知られているのが、近畿の大峰山、九州の英彦山、そして山形県の出羽三山です。

    独自の思想と自然観

    修験道では、草花や木々、岩や川、風や雲など自然そのものと、その現象すべてに神仏の存在を見出します。その思想の根底にあるのは、自然への感謝と畏怖の念。山伏は、山の中、つまりご神体の中そのものに入り修行することで特別な力を得て、そこで得た力を人のために使います。

  • 其の3

    Q. 出羽三山では、山伏はどんな修行をしているんですか?

    A. 具体的には明らかにできませんが、春夏秋冬の「峰入り」が重視されてきました。

    解説

    日頃から様々な修行を行なっていますが、歴史的に「春の峰」「夏の峰」「秋の峰」「冬の峰」という4つの「峰入り」が重視されてきました。「峰入り」とは霊山の山中深くで行われる修行で、山の中を歩き続ける修行や、山中のお堂などにこもる修行を指します。内容を具体的に明かすことはできませんが、羽黒山の「秋の峰」は、一般参加者を受け入れており、全国・海外から参加する人が後を絶ちません。今回のプログラムでもその一端に触れることができます。

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  • もっと知りたい!豆知識

    1年に1回、「験力」を競う行事がある

    大晦日から元旦にかけて行われる羽黒山の代表的な祭り松例祭では、冬の峰で100日間山にこもり修行をした2人の山伏を中心に、験力を競い合います。羽黒山では、この松例祭以外にも一般公開されている行事が年に数回あり、誰でも見学することができます。

    山伏装束に見る
    神仏分離

    羽黒山伏たちの装束を見ると、そこに微妙な違いがあることがわかります。これは、神道と仏教という流れの違いによるもの。また「秋の峰」は、神道系と仏教系に分かれて別日に行われます。このように、羽黒山伏のスタイルからは、神仏分離政策が山伏達に与えた影響の大きさを偲ぶことができます。

手向宿坊街
Q&A

  • 其の1

    Q. そもそも宿坊ってなんですか?

    A. お寺や神社に併設された参拝者のための宿泊施設です。

    解説

    宿坊とは一般的に、お寺や神社に併設された参拝者のための宿泊施設で、そのルーツは平安時代までさかのぼります。当時、天皇や宮中の間で盛んだった熊野三山参詣、その道中の宿泊先となったのが寺や神社でした。その後、宿坊は一般庶民にも広がり、江戸時代には民衆の数少ない楽しみのひとつとして寺社詣が人気を集め、日頃の信仰と関係する宿坊へ泊まり参拝する旅のスタイルが一大ブームに。明治時代以降、宿坊は時代の流れとともに数を減らしていますが、当時からの歴史・伝統・文化を継承しながら代々続く場所が今も全国各地に現存しています。一方で、時代に即した新たな宿坊も続々と誕生しています。

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  • 其の2

    Q. 手向宿坊街はいつできたんですか?

    A. 江戸時代に現在の宿坊街の基盤が形成されました。

    解説

    山伏たちの暮らしはもともと、全国の霊山を巡りながら修行を続ける、いわばアドレスホッパーのようなスタイルでしたが、江戸時代初期の幕府が発した規制により定住を強いられました。このときに羽黒山では「麓三百坊(ふもとさんびゃくぼう)」と呼ばれる大規模な手向宿坊街が誕生しました。字の通り、当時は300もの宿坊が立ち並び、たくさんの参拝者たちを受け入れていました。

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  • 其の3

    Q. 手向宿坊街は、どこにあるんですか?

    A. 山形県鶴岡市・羽黒町手向(とうげ)地区にあります。

    解説

    手向地区は、1400年以上にわたり信仰を集める山岳信仰の聖地「出羽三山」の門前町として発展してきました。宿坊から歩いて行けるところには、国重要文化財の「黄金堂」や出羽三山の歴史や文化を学ぶことができる「いでは文化記念館」などがあり、散策しながら歴史の趣を感じることができます。

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  • 其の4

    Q. 手向宿坊街は、ほかの宿坊となにが違うんですか?

    A. 山伏が夏に宿坊を営み、冬に配札祈祷を行う山岳宗教集落の特徴を残す貴重な集落です。

    解説

    参拝ブームに湧く江戸時代より多くの参拝者を受け入れてきた手向宿坊街でしたが、明治政府による神仏分離以降、宿坊は数を減らしていきました。全国的に宿坊が失われていく中、手向宿坊街はこの時代の苦難を乗り越えて、今でも28(※2022年現在)の宿坊が現存する貴重な宿坊街です。

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  • 其の5

    Q. ホテルや旅館となにが違うんですか?

    A. 立ち並ぶ建物が特徴的で、散策しているだけでも楽しいです。

    解説

    温泉や食事を楽しみながらのんびりと過ごす旅館やホテルに対し、手向の宿坊は聖なる場所への入り口として「身を清める」ための場所です。建物の中には大きな神殿があり、山伏たちはそこで祈祷をするのが日課です。宿坊で過ごす時間は、神域である山に入る前の準備そのもの。食べること、過ごすことで、心身を清めていきます。旅館やホテルとは一味もふた味も違う、伝統ある空間で、羽黒修験の生きた文化と精神を体感することができます。

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  • 其の6

    Q. 誰でもいつでも泊まれるんですか?

    A. 泊まれる宿坊もあります。

    解説

    宿坊は従来、各地に存在する「講」と呼ばれる出羽三山を信仰する人々を泊めるための宿でしたが、現存する宿坊の中には一般観光客を受け入れている宿坊もあります。

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  • 其の7

    Q. 手向宿坊街の見どころを教えてください!

    A. 建物や門構えなど、散策しながら楽しめるポイントがたくさんあります。

    解説

    家々に飾られている綱は、松例祭と呼ばれるお祭りで使われた「引き綱」です。この綱は火防(ひぶせ)となり、家内繁盛を約束すると言われています。詳しくは「羽黒山 山上山下散策MAP」をご覧ください。宿坊の門構えや建築様式の違いなどにも着目して散策してみてください。

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Program

巡礼体験プログラム

山伏と語らい、歩く巡礼 体験プログラム

山伏と語らい 歩く巡礼体験プログラム

はじめての人にこそ知ってほしい出羽三山巡礼の魅力を、1泊2日にぎゅっと凝縮しました。このプログラムでは、先祖代々受け継いできた伝統ある宿坊に宿泊し、山伏とともに羽黒山を歩きます。山伏の生き方や価値観に触れると、山の景色もきっと違って見えてくるでしょう。パワースポット巡りだけでは物足りないという人や日本人の基層や信仰・風習などに興味がある人にもおすすめです。本物の聖地を舞台に、このプログラムでしかできない特別な体験をお楽しみください。